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アメリカにおける楽曲の著作権の仕組み

今から100年以上前の話ですが、有名なアメリカの作曲家兼指揮者であり、チェリストでもあったヴィクター・ハーバートは、ニューヨークのレストランで食事をしているときに、彼の曲がレストラン内で演奏されているのを聞きました。食事が終わったときに、彼は勘定を受け取り、何かがおかしいと感じました。彼は食事代を支払いましたが、店内にいたお客やスタッフから、彼の楽曲がもたらした店の雰囲気などに対して報酬を得ていなかったからです。ハーバートは、彼の楽曲を営利目的で不正に使用したとして、このレストランを訴えました。その直後、作曲家仲間であるジョン・フィリップ・スーザがヴァンダービルト・ホテルに対して、同様の訴訟を起こしました。 レストランとホテルは、その楽曲に対してお客様に課金をしていないため、これらの楽曲の使用は、営利目的ではないと主張しました。そして、1917年に、このハーバート対シャンリー事件を担当した最高裁判事のオリバー・ウェンデル・ホームズは、顧客に直接請求する必要はないものの、利益を上げる過程で音楽が使用されていることに対しては対価が必要であるという判決を下したのです。 ホームズ判事は、「もし楽曲に対する支払いがなければ、その利用はあきらめられるべきだ」と結論付けたことで有名で、アメリカの最高裁判所は「利益のため」という定義に、直接的な金銭のやり取りが不要であることを認めました。つまり、この判決は作曲家にとって好意的に「利益のため」という言葉を定義したのです。 それから現在に至るまで、著作権に関してはさまざまな技術的課題を経験しましたが、基本的にはこの論理が採用されています。では、米国で創作した楽曲が利用された時に適切な報酬を受け取るにはどうすればよいでしょうか。 アーティストや作曲家は、自分の楽曲を収益化する手段を常に考えているわけではありません。収益化する上で重要なのは、楽曲を制作した時に業界団体に自分の楽曲を登録するのです。そうすることで、演奏使用権の受け取りや、楽曲リストの使用状況の報告を受けられるようになるのです。 ここからは楽曲の登録手順とともに、作った楽曲から報酬を得る上で必要な用語について説明します。 演奏使用権はどのように徴収されるのか。 演奏使用権は、楽曲がライブで演奏されたり、ラジオで流れたり、楽譜から演奏された場合に徴収されます。例えば 会場でライブ演奏を見るためにお金を払うと、演奏使用権を管理する団体に支払われます 楽譜のコピーが販売された時に、協会にお金が支払われます アメリカのラジオで音楽が流れた場合は、このお金の流れはさらに複雑になります もしラジオ局やライブ会場が楽曲に対してそれぞれライセンス料を支払う必要がある場合、この仕組みは非常に混沌としたものになります。 ですので、演奏使用権の管理団体は、ラジオ局やライブ会場が包括的ライセンスと言われるものを支払うことで、その団体に所属するアーティストの楽曲を演奏することを許可しています。 米国には、このような演奏使用権の管理団体があり、それらは、米国作曲家作詞家出版社協会(ASCAP)、放送音楽協会(BMI)、Global Music Rights(GMR)、欧州舞台作曲家協会(SESAC)です。 本ブログでは、ASCAPに焦点を当ててご紹介します。100年以上に渡り、楽曲制作者の演奏使用権の管理や、彼らへの支援やサービスを提供しているASCAPには、85万名の作曲家、編曲家、音楽出版社のための専門組織であり、前出のヴィクター・ハーバート、ジョン・フィリップ・スーザ、アーヴィング・バーリンが創設した団体です。 collect royalties on registered songs 作曲家はどのように報酬を受け取るのか? 作曲家は次の情報を提供して登録します: 作成した楽曲の権利の持ち分(共同著作物の場合) 音楽出版社の名前と取り分 登録すると、楽曲に固有の番号が割り当てられます。 このコードは基本的にASCAPが音楽作品を追跡できるようにするために割り当てられます。 音楽が世界に発信され、そこから収入を得ると、ASCAPでその使用状況を効率的に確認できます。 ここにある使用状況から、ASCAPが独自に計算を行い、支払われる演奏使用権が決まります。 権利保有者は、明細書を受け取ったら、受け取った収益の内容を慎重に確認する必要があります。 この内容は、将来的な意思決定につながる可能性があるからです。 たとえば、特定のテレビ番組で収益を上げている場合には、同様のジャンル向けの楽曲を作ることで収益が増加するかもしれません。 作曲家やソングライターとして成功するためには、楽曲の持つ権利やロイヤリティを理解することが重要です。なぜならば、作曲家が費やした使った時間、労力、エネルギーは、それを受け取るのに値するからです。